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唯一の「社会的つながり」

私は通院している精神科病院の訪問看護サービスを受けている。
現在は2週間に一度、担当者が家に来て1時間ほど話しをする。鬱が酷くて起き上がれない時は、メールで伝えて延期してもらう。
ひきこもりとしては、これが唯一の社会的なつながりだ。

5年程前から受け始め、今までに担当者が5人代わった。
幸運だったのは、2番目に担当になった若い女性が毒母に悩む当事者でもあったこと。
ワーカーとしてもとても優秀な人だったし、私が母と連絡を「取らないでいる」ことを励ましてくれた。
その人が妊娠して担当を外れることになった時は、かなりショックだった。
でも、次に担当になった男性は、その人のパートナーが母親との葛藤を抱えた人で、またしても驚くほどの理解を示してくれた。
私はこの人に付き合ってもらい(変な意味ではない)、近くの海に行って、それまで持っていた実家とのつながりを象徴するあるモノを、海に投げ捨てて来た。
あまり儀式めいたことを重要視するタチではないけれど、この時は「誰かに承認してもらう」のが意外なほど有効だったため、随分と解放されたような気分を味わった。
他にも色々とお世話になったが、中でも特に、母から突然訳の分からない暴言の電話が来たり、母が勝手に私の友人の、しかも実家に電話を掛けて、自分がいかに「可哀想」であるかを支離滅裂な言葉と半狂乱な様子で訴えた、と、その友人から電話が来た時、私はめちゃくちゃに取り乱したのだが、その人に緊急で話を聞いてもらい、何とか落ち着くことができたのは、本当に助かった。

その人もこの春異動になり、次の担当者が決まったが、その人に慣れる間もなく3ヵ月でまた異動が発生し、5番目の男性担当者に代わった。
この人もまた、自身の母親との関係がよくはない人だという。
今後またどうなるかわからないけれど、今のところ結果的にはよかったのかもしれないと思う。
鬱だと環境の変化はとてもキツいし、私の中の機能不全家族育ちの部分は、今でも相手の都合による変化を一種の「裏切り」と見做すような、ヒリヒリする心を抱えていて余計に困るのだけれども。

援助職に就く人には原家族で悩んだり苦しんだりした人が多いと聞くが、それを活かして、更にプロとして安全な距離を保って、それでいて援助する相手に深い理解と共感を示せるなら、それは素晴らしいことだと思う。

訪問看護というのは、専ら実際の生活について相談したり援助してもらうサービスなので、本来は治療的意味合いは薄い。
でも、私の場合は、ほんの少しずつ、ゆっくりではあるけれども、治療の効果があったと思う。
集中的な治療ではないので、完治を目指すようなものではないけれど、確実に「痛み」が緩和された。

全部ではなくても、バラバラで少しずつでも、やはり「理解される」というのは、人間には大事なことだ。
それと、自分のペースを尊重してもらいながら、励まされる経験も。
本当なら幼少期に親にしてもらうようなことを、そうしてもらえたなら生きるのが随分ラクだったろうことを、半世紀近くも後になって、途切れ途切れにリハビリしているようなものだ。
何だか皮肉を感じてしまう。
それがどんなに大事か、骨身に染みてわかっているのに、自分ではそれをあまり使いこなせないから。

by Reimei34 | 2018-09-15 12:05 | ひきこもり

鬱、ひきこもり、毒になる母などについての 言葉にするのが難しい痛みの記録。


by Reimei34