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単純な事実、簡単ではない在りかた

親が、立場上の力関係を悪用して子どもを苦しめることがある、というのは、経験者からしてみればごくシンプルな「事実」だ。
それなのに、その「事実」を認識するのにも、言い表すにも、私はひどく難儀した。
なぜかと言えば、私の中に、「それに気がつくと自分に不利益」だとか、「可哀想な、この上なく苦労をした相手に何てことを言うの」だとか、もっと最低なことに「その程度のことを、いつまでもごちゃごちゃ言ってうるさい」だとか、とにかく自分を抑えつける方へ働く「動機」があったからだし、今現在でさえ、そのぐちゃぐちゃに絡み合った「動機」を解きほぐし、そこに自分の貴重なエネルギーが流れ込んで無駄に消費されるのを防ぐ手立てが、まだよくわかっていない有様だ。

特に厄介なのが、「その程度のこと」の呪縛で、自分に起こったことをなるべく正直に、正確に、できるだけ客観的な視点を保ちつつ文章にしてみようとすると、と言うか、そうしようとすればするほど、その出来事が「その程度のこと」と自分で思えてしまう罠に嵌ることがある。

これが多分、私にとっては自分で進めて行くと突き当たる限界の一つなのだが、こういう時に自分にとっての指針になるのが、これまで自分で見出して来た様々な本に書かれた言葉や、その著者の考え方、それも私が納得でき、励ましと感じられる考え方だ。

これもまた多分、なのだけど、私は直に「療法家」と関わり、信頼関係を構築し、一時的にせよ「自分を明け渡す」状態に素直になれるほど他者を信用することが、極めて難しいのだと思う。
こういう治療関係を悪用し、患者を自分の都合のいいように操ろうとする自称「治療者」も多いと聞くし(そう聞いた時点で、私の中の人間不信な部分はえらく納得し、その度合いを深めてしまうという、とても嫌な負のスパイラルもある)、何より、単純に「導かれる」ことを望んでいるとは、自分でも思えない。それは私の病理の一端でもあるのかもしれないが、それでも一人の人間としてごく当たり前の感覚でもある、と思う。

確か、カウンセリングはマイナスからゼロ、コーチングはゼロからプラスを目指すものだ、と聞いたことがある。
その時は、なるほど私はコーチングに惹かれない訳だ、と思った。
今までも今現在も私がしているのは、心理的な被害状況検分とでも言うべき作業と、負ってしまった心理的大怪我がどんなもので、体で言うならどこが使えなくなっていて、どこがまだ使える状態なのか確かめることであり、リハビリは可能なのか、できるとすればどんなリハビリなのか、一つ一つ、しかも手探りで試行錯誤しながら確かめて行くという、気の重い、眩暈を感じるような、たまにもう全部投げ出したくなるような、陰惨と言えば陰惨な作業なのだ。

ただ、自分という存在の主導権はやはり自分が持っていたいし、他者、特に母に埋め込まれた「何か」が原因で何らかのよくない衝動に駆られるのなら、そういう仕組みは取り除いてしまいたい。

ジュディス・L・ハーマンの『心的外傷と回復』の中で、レイプ被害に遭った女性の一人が、その事実を散々に話し尽くした後で、もはやそれは「過去の出来事」であり、最初の数十回、あるいは数百回と同じ衝撃の強さで彼女を苦しめることはなくなった、酷いことであるのは変わらず、うんざりはさせられるけれども、と述べていた場面があった。
私が目指したいことの一つに、少し似ている。
私は、もう母に、直接はもちろん、記憶の中でさえ、異様に大きすぎる影響力を持たれたくない。

年齢を問わず、置かれた状況も問わず、誰とでも対等でいたい。

by Reimei34 | 2018-11-05 13:05 | メモ

鬱、ひきこもり、毒になる母などについての 言葉にするのが難しい痛みの記録。


by Reimei34