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主体性の剥奪とキャパシティの狭まり

最近読ませて頂いているひきこもりや毒親関連のブログ・プロジェクトで、私の中にヒットしたのが、「主体性を奪われる」という言葉。
これは、自分が何年もかけてたどり着いた「マインド・レイプ」の概念とも呼応する。

人間同士としての境界線無視、有無を言わせない同一化、力ずくの心理的侵入の正当化(親子なんだから、血の繋がりは全てを超える)、等々のことを、「ありがたがらなければ恩知らず」という濃密な空気、雰囲気が、母と私の間には確かにあった。
いわゆる「レイプ神話」にも、レイプされる側がそれを望んでいるだの、そうされて喜ぶだの、加害を正当化する目くらましが張り付いているが、実際は加害者側の罪悪感を帳消しにし、一方的な支配欲求を妨げられることなく満たそうという身勝手で卑怯な詐欺的手法に過ぎない。
(この場合のレイプとは、基本的に対等な関係にある者同士の間で起こり得る「時に強引に迫ってみる」などという行動とは、全く違う。相手に人格や主体性があるようなふりを装い、その実完全にそれを無視し、相手をモノとしてしか捉えられない行動を言う。それは極めて野蛮で倒錯的な自慰でしかないし、相手は自分を満足させるために存在する「生きた人形」程度の意味しか持たない。だから、強姦者のシナリオ通りに相手が動かないと、まるで裏切られたり、自分の方が被害者であるかのような反応をする。彼らの世界に「他者」がいないことが、実際に身体に受けた被害と同じ程度の衝撃と痛みと混乱を、被害者の心に及ぼす。生きた人間が、生きた人間として扱われないというのは、本来ならあり得ないことだし、それがあり得るなら、その人にとって世界は崩壊してしまう)

尊重されなかったとしても、生きている限りは人間の主体性は、完全に消え失せることはない。
だが、不要なギプスをはめられ、鎖に繋がれるようなもので、本来の姿通りに育つことは妨げられてしまう。
あり得ない形にたわめられ、折れ曲り、体で言えば血行障害や筋肉の強張りや筋力の低下の状態になる。
そしてそれは、目には見えない。
それでも、主体性が伸びやかに育った人とは、取る行動がまるで違って来る。
剥奪のされ方は千差万別なので、その後遺症の表れ方も各人各様だが、共通の認識はやはり、「自分はどうも人と違う」「何でだかいつも苦しい」「生きているのがしんどい」辺りだろうか。
当然と言えば当然だ。曲がった脚でまっすぐ普通に歩こうとし、曲がった手で普通の動作をこなそうとし、病み衰えた体で重い荷物を背負ってハイキングや登山をしようとしているのと変わらないのだから。

誰にもわかってもらえないかもしれない。
でも、この「不自由」は紛れもなく本物だ。
そして、リハビリには気の遠くなるような時間がかかる。
しかも、リハビリの方法も、一つずつ自分で探り当てなくてはならない。

幸い、現在では似た境遇の人の本も色々出ているし、個々人の試みをネット上で配信してくれている人もいる。

割と最近「何があろうと自分の味方」という存在を自分の中に作る、という方法をある本で読んだが、これは5年ほど前から自己流で実践していたので、同じことをしている人がいるとわかって嬉しかった。
それに、私の中の私の味方が、親とは一切関係がない、というのも、今の私にとってはとても重要なことだ。



by Reimei34 | 2018-11-08 14:37 | 毒親

鬱、ひきこもり、毒になる母などについての 言葉にするのが難しい痛みの記録。


by Reimei34